2000安打達成!天才打者、青木宣親の知られざる高校時代

      2017/06/12

遂に、青木宣親選手が2000本安打を達成しました。

青木選手はヤクルトで1284安打、アメリカに渡ってメジャーリーグで716安打を放った、日本球界を代表する天才バッターです。

そんな青木宣親選手ですが高校時代の事は意外と知られていません。

いったい高校時代の青木選手はどんな選手だったのでしょう。


青木宣親選手の基本情報

青木宣親選手は宮崎県日向市出身で1982年1月5日生まれ。

小学校は日向市立日知屋小学校、中学校は日向市立富島中学校を卒業しました。

小学生の頃は全日知屋スポーツ少年団で投手として活躍し、県大会で優勝。

子供の頃から非凡な才能の片鱗を見せていました。

しかし、中学校ではチームがあまり強くなかったこともあり、目立った成績を残していません。

その為、高校は野球の強豪校に進まず、地元の日向高校(ひゅうがこうこう)という公立高校に進学。

この時点では、周囲の人達も青木選手本人も、まさかプロに行く様な選手になるとは思っていなかったでしょう

日向高校はどんな学校?

青木宣親選手が卒業した日向高校(ひゅうがこうこう)は、宮崎県日向市にある男女共学の公立高校です。

甲子園には1989年(平成元年)の夏の甲子園に1度だけ出場しています。

その時は初戦で群馬代表の東京農大二高に10対6で破れています。

当時、2年生には後に早稲田大学からドラフト2位で巨人に入団した織田淳哉投手がいました。

織田投手も青木選手も日向高校から早稲田大学と同じ道を辿っています。

これは偶然!?と思って調べたところ、

昔、日向高校には早稲田大学の指定校推薦枠があったそうです。

青木選手はその指定校推薦で早稲田大学に進学し、プロへの階段を登り始めます。

高校から推薦してもらえるという事は、青木選手は学業でもかなり優秀な生徒だったと思います。

この日向高校から早稲田大学への指定校推薦は、残念ながら、今はなくなってしまった様です。



青木選手の高校時代

青木選手が高三の時は、センスの良い選手が揃っていたため、公立高校ながら春の宮崎県大会で優勝しました。

そしてその勢いのまま、夏には日向高校2度目の甲子園出場が期待されていましたが、残念ながらベスト8で敗退

甲子園への夢は叶いませんでした。

当時の青木選手は、エースピッチャー兼外野手打順は3番でした。

しかし、後にメジャーに行って、日米通算2000本安打を達成することを予感させるほど、ずば抜けた能力の選手ではありませんでした。

どちらかと言えば、ちょっと野球の上手い高校生という感じだった様です。

スカウトは見抜いていた潜在能力

1つだけ青木選手の潜在能力の高さを示すエピソードがあります。

それは、練習試合で他校の選手を見に来ていたプロのスカウトが青木選手を見て

「あの子は外野守備での打球への反応が素晴らしい」と評価したことがあったそうです。

しかし、高校時点ではドラフトにかかる程の実力はなく、その才能が大きく花開いたのは早稲田大学に進学してからでした。

まとめ

青木宣親選手の高校時代は、甲子園を沸かせるようなスター選手ではありませんでした。

しかし、公立高校でのびのびと野球と勉強に打ち込んだ結果が早稲田大学への推薦に繋がり、その後のプロ入りそしてメジャーリーガーへの道を切り開きました。




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